ナマステ。
今日は悲しい出来事。
友人のご主人が、亡くなりました。
友人といっても、家族と同じくらい大切な人。
細長い月が光る、夜でした。
お葬式が終わってもまだ実感がありませんけれど、
慌しい何日かでした。
田舎からカトマンズに出てきて、
苦労して苦労して苦労してやっと今、
生きることを楽しめるようになった矢先のことで、
私は彼女の体によりそって、
をさすってあげるくらいしか、できませんでした。
ネパールのヒンドゥ教のしきたりには、
日本のようにお通夜も告別式もなく、
お別れは本当に突然です。
それに呼ぶも呼ばれるもなく、
知らせを聞いた人たちは迷わずパシュパティへ向かい、
最後の時間をともに過ごします。
ご主人は緊急手術のあと、ICUから出ることもなく、
パシュパティの火葬場で葬儀のとき初めて皆に会い、
送られて行ったそうです。
本当に沢山の人たちが、集まって。
その日の朝、友人はプレートの助言に従って、
お寺にプジャをしにいきました。
それは、皆にこころの準備をするようにという、
メッセージだったのかもしれません。
まだ道は続いているよ。
初めまして。
返信削除私の夫もネパール人です。
読んでいて他人事とは思えなく涙が出ました。
ご主人の無念、奥様の悲しみを思うと言葉もありません。
大切な方を亡くされた奥様とK`sさん、そしてご家族にこの先たくさんのバゲマニがありますよう心からお祈りします。
「ima」のリポートとあわせてうわのそらブログ、いつも楽しみに読ませて頂いています。
リアルなカトマンズの様子をこれからも伝えて下さいね!
nisaさん☆コメントありがとうございます。
返信削除13日の喪も過ぎ、なんとか復帰できそうな感じになってきて、片付けを始め、見守るしかできない立場ですが少し安心しているこのごろです。
ソギャル・リンポチェの「チベット生と死の書」を少しづつ読んでいるのですが、まったく生まれることすなわち死であり、生もまた死へのプロセスであり、不謹慎な言い方ですが、今を大事にしようと教えてくれた機会だと思っています。
自分も家族も大事にしなければと。
友人にはすべてのよきことが訪れるよう祈る日々です。多難でしょうが、ひとつひとつ乗り越えて、またいつか笑顔が戻ってくる日を信じています。13日の喪の供養中に、初めの9日間、ヒンドゥではある聖典を読み聞かせるそうです。そこで、死者への弔いと、生と死について学ぶのだそうです。心のあり方というか。
明日に向かって生きるのではなく明日はやってきます。望むと望まずとにかかわらず。何もかも大事にしたいと強く思うようになりました。
なんだかとりとめもなくなりましたが・・また遊びに来てください!