2007年7月12日木曜日

蒼氓(そうぼう) 石川達三

 夕べ読み終わったこの一冊。ブラジルへ移住を決意した人々の、日本を出る場面からそこへ行くまでのお話しです。移民船ともいうべき船に乗るまでの日本を捨て、新しい地へと向かう8日間、900人という人々の「ブラジルへ!」という一つの大きな目標を乗せた45日間、その中にそれぞれの希望、目標、そして不安や苦悩、あきらめ…様々な人間の思いや模様が生き生きと描かれています。

 物語の舞台は1930年とありますから、今からもうほとんど80年も前の、実際に似たようなことがあったであろうと思われます。「外国」に対する思いや距離は今よりもずっと遠く、見え方も今とは大きく違っていたことでしょう。初めての土地へ赴く期待や不安…ほんの少し、自分が旅をしていたときの気持ちと、通じるものがあるかも知れません。

 物語の終わりに、こんな一文があります。

 …この部落の人々の生活は…あらゆる世間的な欲望を忘れ、世界の国々の動きに何の関心もなく、貧しくつつましい気持ちのなかから、いつの間にか静かに湧いて来た、生きていること、そのことのみの喜びによって生活しているもののようであった。こうして日がな一日紫赤土にまみれての労働の中にも、他人にはわからない多くの幸福がある、むしろ意外なほど純粋な幸福、原始人のような幸福がありそうであった。新移民たちが日本から描いてきた数々の夢は幻となって消えたが、消えたあとに残る他の幸福があることがおぼろげながらわかってきた。……

 何と言えばいいかな…食べて、働いて、寝て、その日常の中にも沢山の幸福を見出せる生活。ほとんどの場合、もっとこうしたい!ああしたい!こうだったらああだったらいいのになァ!!と思い勝ちなのですが、この文章から、そうだ、家族が健康で、毎日ご飯が食べられて、働く場所があって、これって、かなり幸せなコトではないかい?とやっと気がついたのでした。

 別に農村や静かなところに暮らさなくとも、「文明社会」と呼ばれる日常に飲み込まれてしまおうとも(なのに文明社会にお世話になっている部分も多々あり!)ただ生きるために行っていること、これはとっても大事なことではないか?そう思いだすと、ここカトマンズのエネルギーもなんだかうなずけてしまうから不思議。働いているようで働いていないような、忙しそうに見えて全然忙しくない、時間の流れ方が日本と全然違うカトマンズにこの身を置いて、生かされている、と。

 何処に居ても、「生きている」ということに感謝でき、日々是好日と思えれば、こんなに素敵なことはないかも?!でもやっぱり時にはパッとなにかが欲しい!俗物の私には「ただ生かされていることのありがたさ」ということは、まだまだ理解できないか…

 

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